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モース氏:日米関係への貢献と遺産

  • 執筆者の写真: 渡邉 定好
    渡邉 定好
  • 2月20日
  • 読了時間: 3分

稲村公望氏 FBより

NotebookLMによる要約


ロナルド・A・モース氏は、日本と米国の相互理解を深めるために尽力し、日米関係の発展に重要な役割を果たした人物である。彼は1938年にニューヨークのロングアイランドで生まれ、ユダヤ系移民の家系に育った。少年期に寄宿舎のあるミリタリーアカデミーに入れられ、1956年からイリノイ州のスコット空軍基地で勤務。その後、モンタナ州の大学を経て、カリフォルニア大学バークレー校で歴史を学ぶ。1964年には交換留学生として京都に滞在し、日本との関係を深める契機となった。

学問と日米交流への貢献

・1970年、プリンストン大学の博士課程に進学し、社会変動論の専門家マリオン・リーヴィ教授の指導を受ける。また、坂本龍馬研究で知られるマリウス・ジャンセン教授や、思想家・鶴見俊輔の姉である鶴見和子教授とも交流。・1974年、博士号を取得後、米国政府に就職し、国防総省に勤務。・国務省へ移籍後、日本に関する日報を作成する業務に従事し、日本の経済や安全保障政策に関する分析を担当。・日本と米国の関係を深めるため、柳田国男の研究を行い、『遠野物語』を英訳。さらに、「近代化への挑戦:柳田国男の遺産」(NHKブックス)を出版。

日米関係における政策的貢献

日本の市場開放、防衛費増額、憲法改正、技術の相互利用を提唱。・「ストロング・ジャパン(強い日本)」こそが米国にとって有益だと主張し、ワシントンで主流だった「日本の瓶の蓋論」(日本を弱体化させる政策)とは異なる立場を取る。・「日本は経済的脅威にすぎない」としていた当時の米国の見方を批判し、中国の軍事的脅威の重要性を指摘。・石原慎太郎は『ノーと言える日本』でモースの論説を引用し、日本の自立を促す姿勢に共感を示していた。

ワシントンでの活動と晩年

・ワシントンでは、議会図書館やウィルソン研究所に勤務し、日本の研究者や評論家を米国に招待するプログラムを主導。・評論家の江藤淳を米国に招き、米国の戦後対日政策の批判を促す活動も支援。・産経新聞は、モースの**「モースターゲット(124人の日米関係者の関与を図表化)」**を報じ、日米関係の複雑な構図を分析する手法を紹介。・1993年以降、メリーランド大学、UCLA、ネバダ州立大学、麗澤大学などで教授として教鞭をとり、学問の道に戻る。・晩年はラスベガスに住んでいたが、高齢になり、メリーランド州の老人ホームへ移住。

評価と顕彰

・日本の独立と国際的な地位向上を主張し続けたが、日本政府からの正式な評価や顕彰は少ない。・岩手県遠野市は、彼の遠野物語研究を評価し、「遠野賞」を授与。・「日米関係の歪んだ主従関係を是正するために生涯を捧げた人物」として、さらなる顕彰が求められる。

モース氏は、単なる日米関係の専門家ではなく、「強い日本こそが日米関係を安定させる」という信念を持ち、日本の自立と発展を支援し続けた人物だった。その功績は、より広く認識されるべきである。

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